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岩渕功一

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関西学院大学社会学部教授・<多様性との共生>研究センター所長。大学卒業後、日本テレビ入社。その後オーストラリアへ移り住み、西シドニー大学でPh.D取得(メディア・カルチュラルスタディーズ)。国際基督教大学、早稲田大学国際教養学部を経て2012年からメルボルンのモナシュ大学アジア研究所長。2020年4月より現職。主な研究関心は越境文化連繫と対話、多様性の包含と文化シティズンシップ・パブリックペダゴジー。最近の日本語の著書・論文として、『多様性との対話』(編著、青弓社)、『トランスナショナル・ジャパン:ポピュラー文化がアジアをひらく』(岩波現代ライブラリー)、『文化の対話力』(日本経済新聞出版)、「遠隔地多文化主義:オーストラリアの日系人と<いまここ>に根付いたトランスナショナリズム」(長友純編、『オーストラリアの日系人』など。多様な差異を平等に包含し誰もが生きやすい社会の構築に向けた学び(捨て)と対話の実践的な取り組み方を模索している。

​多様性との終わりなき対話に向けて

本講義は日本におけるダイバーシティ&インクルージョンの推進について批判的に検討する。ダイバーシティ&インクルージョンはイノベーションと生産性をもたらすとして組織、企業、行政が推進すべきであると世界各地で認識されるようになっているが、日本もその例外ではない。しかし、そうした多様性の奨励は必ずしも周縁化された人たちの平等な包含に結びつくわけではない。本講義では、主にヨーロッパやオーストラリアの文脈における多様性(diversity)についての批判について概観しながら、多様性の奨励が実際には社会的・文化的な差異の包含を進めないように作用することを指摘するとともに、日本の文脈において特に取り組むべきことについて考察する。そうした批判的検討はダイバーシティ&インクルージョンの推進を否定するものではない。社会的・文化的に周縁化された人たちを平等に包含することに向けて、どのようにして社会的な実践・想像力・連帯を着実に推し進めていくのかを模索するためには、多様性との批判的な対話をし続けていくことが欠かせないのである。

岡野かおり

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メルボルン市、ラトローブ大学教授(日本研究・アジア研究)。教育社会学・人類学者。日本・アジアの教育における多様性・不平等・社会的公正・マルテイカルチュアリズムの研究。

 

最近の出版物は以下の通り。Nonformal education and civil society in Japan (2016),  Rethinking Japanese Studies (2018, with Sugimoto), Discourse, gender and shifting identities in Japan (2018, with Maree), Education and social justice in Japan (2021),and UNESCO publication, Diversity and social justice in education (2022). 

 

現在 女性のライフコースの経時的研究の3冊目を執筆中。Young women in Japan (2009) と School to work transition in Japan (1993)の続編。この研究は1989-2023に渡り神戸の高卒女性をリアルタイムで調査したもので、 (A) ライフコース・意思決定・幸福感の人類学的考察及び (B) 談話分析による言葉のバリエーションと経年変化の社会言語学的考察から成る。https://www.latrobe.edu.au/crld/research/thirty-years-of-talk

 

研究職以前はシドニー及びニュージーランドのハイスクールで日本語と社会科の教師をした。2015 ― 2017年にはthe JSAAの会長を務めた。

https://scholars.latrobe.edu.au/khokano

​学校教育における多様性と社会的公正

「同質的な日本社会」という長年の見解は「多文化共生社会」に変わりつつある。ニューカマー到来による人口動態の変化と一般市民の多様性に対する意識の高まりを反映している。多文化共生は今や民族・人種・言語・文化・階層・ジェンダー・セクシュアリテイ・障害などの多様性を包括する言葉だ。この変化の中、子供たちを育む学校教育の役割は特に重要である。

 いかに学校教育制度・実践は多様性と社会的公正に対応してきたのか?ここでは社会的公正の二面を考える。第一に教育機会・達成の配分の公正(誰がどの程度の学校教育に参加するのか)、第二に学校での学習内容(どの程度学習内容が多様性に対応しているか)である。30年前と比較すると、学校は生徒の多様性を認識しそれに応じた学習機会を提供し生徒の教育アクセスを拡大しようと努力している。特定グループ対象の教育リソースやアファーマテイブアクションのみならず、全生徒に対しての対応(授業料・学校給食無償にする自治体など)もある。学習内容に関しては、不登校やニューカマーの生徒の卒業資格を取得・入学試験の代替方法が出てきた。このような対策は当初ローカルレベルの活動だったが、子供の貧困対策推進法(2013)・多様な教育機会確保法(2016)など、後に国がサポートしたものもある。学校は「ゆとり教育」で地域に根ざした教育内容の推進を試みる一方、ノンフォーマル教育セクターと協働もするようになった。また、長い歴史のある学校給食が食育基本法(2006)により新たに見直された。

 このような変化により生徒の学校教育参加は拡大したものの、学校教育システムと学習内容が激変したとは言い難い。日本の学校教育の社会的公正への関心は配分の公正に偏り、学習内容の社会的公正に関してはあまり議論されてこなかった。後者を進めるには、学校教育に関する決定プロセスにより多様な人材が関わるのを待たねばならぬであろう。

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ケン・クルックシャンク博士は、シドニー大学の教育学の教授であり、シドニー・コミュニティ言語教育研究所の所長でもある。教授は、言語教育の教師、教育者、研究者として長年の経験を持ち、近著にLanguage Education in the School Curriculum: Issues of Access and Equity (2020)があり、 Bloomsbury Academic, Londonから出版されている。最近の主な研究は、語学教師の数の増加、および、海外で研修を受けた教師の認定への道筋の確立について、また、学校や大学における語学の提供の改善や履修者数の増加についてである。

日本語教育と将来への可能性

オーストラリアは、学校における言語教育の普及率がOECD加盟国の中で2番目に低いが、英語圏の国々では言語教育は危機的状況にある。1990年代に約束された日本語教育・学習の充実は実現されず、その過程で、日本語を母国語とする教師や生徒は主流の教育から疎外されてきた。この講演では、なぜこのようなことが起こってしまったのか、そしてオーストラリアの日本語教育について、教育部門や学習者の年齢を問わず、幅広く概観していく。この発表の主眼は、オーストラリアの学校や大学における日本語教育や学習の衰退を逆転させるために、米国やオーストラリア、その他の国々での取り組みに倣って、どのような現実的な手段を講じることができるのか、という点にある。その手段として以下の3点を提唱する。

 

  1. 学習者の日本語の流暢さの上達の度合いを、学習場所や年齢に関係なく、評価し、認定することに焦点を当てる必要がある。そのためには、教室で使える有効な評価ツールが必要である。

  2. 教師や生徒を「バックグラウンド」「非バックグラウンド」で分類するのではなく、教師や生徒の知識や技能を評価することにシフトする必要がある。

  3. 小学校での語学学習の義務化、中学校での語学教育の充実、大学での学者数を増やすための12年生試験の変更が必要である。

ケン・クルックシャンク

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